江戸〜紅葉屋時代

初代・富田重助 鹿助(じゅうすけ しかすけ)

知多の古見を後にして名古屋へ移り、現在の本社所在地である旧鉄砲町(現 名古屋市中区栄三丁目)に、紅葉屋(もみじや)を創業。化粧品・小間物など雑貨類や食用油類を取り扱い、尾張藩御用商人としての地位を築いていった。

三代目・富田重助 重政(じゅうすけ しげまさ)

神野(かみの)家よりの15歳で富田家の養子となる。胆力もあり先見性に秀でており、まさに快男児というべき人物であった。

「創意に生きる」家風をつくり、横浜・神戸開港直後の幕末にあって、従来の雑貨、食用油類に加え、舶来の毛織物を大量に扱うなど業容を拡大し紅葉屋を隆盛に導いた。


1866年

舶来物を取り扱う紅葉屋に対し、尊王攘夷派の尾張藩士による「紅葉屋斬り込み事件」が起こる。この事件は、城山三郎氏著『中京の財界史』の巻頭や『冬の派閥』に取り上げられた

横浜で盛んに海外との貿易を行った頃の三代目富田重助重政(前列右)。当時商人でありながら短刀所持を許され、こうもり傘に高下駄という姿。

1853年

アメリカ合衆国ペリー提督らの黒船、浦賀へ来航

1860年

桜田門外の変で、大老井伊直弼が暗殺される。

1867年

大政奉還